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執筆者の写真 西山 達也

コラム 逆襲の日本式経営と実践的アーキテクチャ (2022年11月4日開催 アニュアル・カンファレンスに向けて)

近年、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の両方を解決する社会の実現が求められています。

これらシステム全体の構造自体やその運用に関するデジタル技術の革新への変化のスピードが高まる中で、システム全体を把握したエコシステムとしての設計を行う必要性が増大しています。

システム全体を把握し全体の最適化を目的としたアーキテクチャの設計の在り方を極めるためには、その社会実装を後押しするため産学官に働きかけ、フィードバックを元に常にアーキテクチャを改善していくための場が必要不可欠となっています。


この度、Iasa日本支部では、恒例のアニュアルカンファレンスとして「逆襲の日本式経営と実践的アーキテクチャ」をテーマに産学官の識者をお迎えし、来る11月4日(金)にオンライン開催されることとなりました。

産業分野からは情報システムの開発運用におけるJfrogJapan社の最前線での挑戦、及び官界からは政府CIO補佐官からデジタル庁の最新動向についてご講演頂く予定となっています。

また、学究の世界からは、慶応大学の岩尾俊兵先生にご著書の「日本式経営の逆襲」(2021年6月発刊)に基づいたご講演をいただくことになっています。このコラムでは、「日本式経営の逆襲」を参照する形で、11月4日に開催のカンファレンスの趣旨について述べていきたいと思います。




 ご著書では、海外、特にアメリカで評価されている経営手法の源流は日本発であることが多く、日本の経営は「遅れている」と言う言説にとらわれることなく、日本式経営に自信を持つべきだと主張されています。例えば、「リーンスターアップの元はトヨタ生産方式である」、「アジャイル開発は二重三重の意味で日本の経営技術に起源をもつものである」などの興味深いお話しがご著書の随所に出てまいります。

 2001年のアジャイルソフトウエア開発宣言(マニフェスト)は有名となっていますが、そもそもこの概念自体はマニフェストの発表よりも3年早く1998年に日本の研究者から提案されているそうです。同様に、流行しつつあるティール組織は、従業員がカイゼンなど自ら創造性を発揮するとか、幅広く権限が委譲される現場主義とかの日本発のスタイルを取り入れており、トップダウンマネージメントのアメリカ型企業への対案であるとしています。それらの経緯は、「日本式経営の逆襲」に詳しく述べられてます。

 ただ、アメリカは、それらの日本発の仕組みをコンセプト化しパッケージ化することに優れており、それらを日本発であることを認識せずに導入する日本企業も少なくないとのことです。しかし、逆輸入された経営手法を安易に取り入れると、すでに自社が保持していた経営技術をおろそかにし、新しい手法などに翻弄されて、結果として現場が混乱して疲弊し、企業が元から持っていた強みを捨てさせてしまうこととなる可能性があると言うのです。その問題と解決への道は、ご著書を購読いただき、10月29日のカンファレンスで岩尾先生のお話を聞いていただくことで理解が深まるかと思います。


 さて、コラムの筆者は、日本式経営と言えば、経営の神様である松下幸之助を思い出します。また、近年脚光浴びだした出光興産の出光佐三は日本の世界進出を促した英雄とも言われており、京セラの稲盛和夫は、今も日本の産業界での影響力を発揮されていることを思い起こします。

 彼らの経営については思想・哲学から逸話や名言まで、あまたの書物が出版されています。その中で、組織論として有名なものに、松下幸之助には「事業部制」が、出光佐三は「組織は無をもって理想とする」、稲盛和夫には「アメーバ経営」があります。

 ここで、取り上げたいのが、これらの組織論とビジネスアーキテクチャの関係です。事業部制にしたり、組織を無にすることや、アメーバ経営を追求することで、ビジネスの仕組みも変わります。そうです、ビジネスアーキテクチャをどう描くかは組織に対する考え方が多大な影響を与えることになります。ただ、それは、経営者の経営哲学や理念から生み出された組織論であることは言うまでもありません。

 アメーバ経営も稲盛和夫の「会社経営とは一部の経営トップのみで行うものではなく、全社員が関わって行うものだ」という考えを実践したものです。いずれにしても、松下幸之助は「事業部制」をベースに、出光佐三は「組織は無をもって理想とする」ことで、稲盛和夫は「アメーバ経営」で実践的なビジネスアーキテクチャを追求していったように思います。


 話は少し脇道になりますが、「マタギ」の世界のリーダーの考え方はご存じでしょうか?以下は、梅原 猛の著書「将たる所以」で述べられている狩猟採集民の「マタギ」の話からの抜粋です。

******** 抜粋 *********

 民主主義のリーダー、民主社会におけるリーダーは、どのようにあるべきか。ここで私は民主主義というものを明治以後、単なる西洋から輸入されたイデオロギーとは考えない。

 これはすでに多くの人から指摘されていることだが、我が国の文化の基層には縄文の文化がある。中略 縄文人は狩猟採取民であるので、その文化伝統を継ぐのは、狩猟採集を行っているマタギである。

このマタギ文化を考察すると、その社会は、はなはだ民主的な平等の原理によって運営されている事がわかる。

 例えば、マタギ社会において、もともとマタギ社会に住む人間はすべて平等であるが、猟の時だけは一人のリーダーを親分として選ぶ。リーダーを選ぶにはみんなで集まって、狩りが一番上手人間を選ぶのであり、熊の狩りの時は熊狩りの上手なリーダーを、猪狩りの時は猪狩りの上手なリーダーを選ぶ。そして、熊狩り、ありいは猪狩りの時には、やはりそのリーダの命令に従うのである。しかし、熊狩りや猪狩りが済むと、そのリーダーはリーダーであることを免ぜられ、村人の一人に戻るのである。 

 そして、獲物は猟に参加することのできなかった老人ばかりの家や未亡人の家にも、ほぼ平等に配られるのである。

******* 以上 ********

 このマタギの話しは、システムつくりにおける組織運営においても参考となるかと思います。アーキテクト達が得意分野に特化し、それぞれの分野でリーダーシップを発揮し、全体システムを作り上げていくことが、成功要因のひとつとなるのではないかと考えます。


 一方、「日本式経営の逆襲」では、ティール組織のことを以下のよう述べています。

******** 抜粋 *********(P58から引用)

 ティール組織では、組織がまるで生命体のように、人が集まって目的を達成してまた分散する。そして、その前提として組織の構成員によるセルフマネジメント(自己決定・自己管理)がおこなわれ、組織の構成員は仕事のつきあいだけでなく人間としての全体が組織に受け入れられ(全体的・ホールネス)、さらに組織はビジョンを進化させ続ける。ティール組織においては、もはやトップダウン型のいわゆる「マネジメント」は必要なくなるという。こういわれるとなんだか高尚なイメージなるだろう。

 しかし、よくよくかみ砕いてみれば、従業員が自ら創造性を発揮するとか、自分の職場に責任をもって自分でマネジメントするとか、幅広く権限が委譲される現場主義とか、職務を分担せずにたすけあうとか、必要に応じて人が集まってきてチームになるといったことは、日本の企業では当たり前のことではないだろうか。あるいは、これらのことをあたりまえにこなす日本企業は比較的多いのではないだろうか?(以上P58から引用)

******* 以上 ********

 いずれにしても、日本の文化や思想を学び、優れた日本の経営技術を参考にしてコンセプト化やアーキテクチャに仕立て上げビジネスシステムを刷新していく中で、日本を取り戻すことが求められているように感じます。


「日本式経営の逆襲」では、「経営技術の逆輸入モデル」や「カイゼンの研究やよみがえらせ方」「日本式経営のこれから」なども語られています。

 特に、「日本式経営のこれから」では、日本だから出来ることとして、産業界での経営技術の開発と研究者側の経営理論である経営学とが共同して企業経営に関する統一理論を構築する可能性を官界を含めて取り組むことを提言されています。

 産学官からの講師3人をお迎えした11月4日(金)のカンファレンスがきっかけとなって産学官の力で、日本からの逆襲が始まるようなことがあれば、この上ない慶びです。カンファレンスへの参加をお待ちしております。



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