今回はIasa APAC (アジア・パシフィック) のウェブ・コンテンツをご紹介します。Iasa APAC代表で、Iasa日本支部会員の皆様にもおなじみのアーロン・タン・ダニ氏が、エンタープライズ・アーキテクチャ (EA) の概要を5つの問いに答える形で解説しています。5回にわたる連載の最後の公開から一年を過ぎていますが、ITとあまり関わりのない専門外の方々などにもEAの意義を広く知っていただく上で参考になりますので、各回のエッセンスを私のコメントも交えご紹介したいと思います。
1. “What is Enterprise Architecture?” (EAとは何か?)
ITABoKではITアーキテクチャを、「価値のあるテクノロジー戦略のデザインとその実現のアート(技能)もしくはサイエンス(科学)」と定義していますが、ここではアーロン氏はEAをオーケストラに例えています。総譜(スコア)はフレームワーク、楽器はテクノロジー、演奏家や指揮者はスキル、記譜法はノーテーションです。
ここでは、フレームワークにはザックマンやTOGAF、スキルにはITABoK、記譜法にはArchiMateがそれぞれ例として挙げられています。
EAとは何か、と尋ねられたとき、オーケストラのようなものである、というのが良い答えかどうかは難しいところでしょう。質問者のバックグラウンドにもよりますが、例えば「フレームワークは総譜にあたる」と説明されても、そもそもフレームワークを知らない人にはあまり意味が有りません。少なくとも専門外の方々に対する説明としてはあまり気の利いた説明の仕方では無さそうです。
しかしながら、個人的にはアーキテクチャの要素としてノーテーション、その例としてArchiMateが挙げられている点には注目したいと思います。「百聞は一見に如かず」で、まずはArchiMateビューのサンプルを見せて、「これは楽譜のようなものだ」といった説明をするのが良いのかも知れません。もちろんEAの広大且つ奥深い世界は一つのArchiMateビューだけでは表現できませんが、だんだんとそこから広げたり、掘り下げたりしていけばよいのです。
2. “Who needs Enterprise Architecture?” (誰がEAを必要とするのか?)
この問いに対するアーロン氏の答えは比較的単純明快で、彼が挙げるところの5つの過ち、すなわち① ITとビジネスのコミュニケーション不全、② バラバラのシステム、③ 自動化への時代遅れなこだわり、④ ITとビジネスとの戦略不整合、⑤ ROIの対象ではなくコストセンターと見なされるIT部門の、どれか一つでも犯した人々は、誰でもEAの恩恵を受ける、というものです。
このうち、③ 自動化への時代遅れなこだわりは中々示唆に富んでいます。興味深いのは、これを「プロジェクト第一主義」と結びつけ、その「過ち」を、ざっくりとした「自動化」の要件に基づいて、スタート時点で既に予算やスケジュールを限定してしまうこと、と指摘している点です。
これは多くの企業ITが抱える問題の核心に触れた指摘ではないでしょうか。ITといえば自動化ということで、毎年様々な目的や種類の自動化ソリューションを買い集め、やがてシステム間連携ソリューションも買ってシステム間をメッシュ状に繋ぎ、挙句にそれらの経済寿命が次から次へとやってきて、技術的負債の増大が止まらなくなる、というのが多くの日本企業が陥っている現状ではないでしょうか。
恐ろしいことに、最初にソリューション・プロダクトを買ってしまい、あとで辻褄合わせに多額の費用を投じても、二進も三進も行かなくなったりするプロジェクトは、今日でも少しも珍しくありません。それが「プロジェクト第一主義」に因るものだと分かったとき、EAがその解決策となるとアーロン氏は主張しています。つまりEAの恩恵を受ける人とは、「ITプロジェクトが炎上したり失敗したりしたことがある人」だということです。そして世の中にはそのような人々は沢山おられるのではないでしょうか。
3. “When to implement Enterprise Architecture?” (EAをいつ導入するべきか?)
ここでは「適応能力(“Readiness”)」および「成熟度(“Maturity”)」の二つの尺度が取り上げられています。
とはいえ文中では「図を参照」と書かれてはいるものの、その図は見当たりません。元記事を探してみるとアーロン氏の会社であるATD Solutionのブログ記事にたどり着きます。
記事によると、適応能力は複数の要素(“factor”)からなり、それぞれの要素は5段階の数値スコアで評価されます。全体評価はおそらくはスコアの平均で、0~1なら”Not Ready”、1~2.5なら”Partially Ready”、2.5~5なら”Ready”となるようです。
成熟度の尺度としてはTOGAFにも載っているACMMが紹介されています。「存在しない」「導入中」
「定義されている」「管理されている」「最適化されている」の、CMMIと同様の5段階評価です。
結論から言えば、タイトルとは全くかみ合っていません。どちらも既にEAプロジェクトが存在している前提での、その成果に対する評価です。成熟度モデル以前に、EAがそもそも普及していない現在の日本に当てはめてもあまり意味が無さそうです。
日本の場合、先の「EAは誰に必要なのか?」で挙げられた5つの「過ち」のいずれか一つにでも気づいたら、すぐに始めればよい、というのが答えになるでしょう。そもそもEAを始める上で費用は前提にならないので、たとえ疑心暗鬼でもとりあえず始めてみれば良いのです。
4. “Why Enterprise Architecture?” (なぜEAなのか?)
日本の端的に言えば「デジタル・トランスフォーメーションに不可欠だから」というのがこの記事の結論です。これだけならネットによくある紋切り型の謳い文句ですが、そこに至るまでの議論には注目すべき点があります。
まずアーロン氏は、ITベンチャーなどの「デジタル・ネイティブ」との対比として、普通の会社を「デジタル移民 (immigrants)」というユニークなことばで表現しています。「デジタル・トランスフォーメーション」とは「デジタル・ネイティブの生息域 (アーロン氏ではなく私の造語ですが、デジタル・ランドとでも呼びましょう)への移住、入植」といったイメージになるでしょう。一方、普通の会社の現在の生息域は、(これも私の造語ですが)、マテリアル・ランドとでも名付けてみます。マテリアル・ランドの住人が、デジタル・ランドに移住し、更にそこで成功をおさめれば、それが「デジタル・トランスフォーメーション」になるわけです。
問題は、マテリアル・ランドでの適応と進化に適していたやり方は、デジタル・ランドでは通用しないことで、それをアーロン氏は移民という比喩を用いて表現しているものと考えられます。何よりデジタル・ランドでの一番の価値は「知」であり、なんでもカネで買うことが出来たマテリアル・ランドの流儀は通用しません。マテリアル・ランドがかつてのように巨大な経済規模を誇っていれば「知」を買うことも出来たでしょうが、いまとなってはそれも叶いません。
つまり私たちにとってデジタル・トランスフォーメーションとは、必ずしも夢と希望に溢れた新しい「機会」を意味するとは限らず、むしろ慣れ親しんだ価値観や習慣から如何に脱することが出来るかという「試練」と捉えるべきなのかもしれません。
日本のアーロン氏はもう一つ、”Treating the enterprise (…) like a living organism”、つまり「企業は生き物のように扱え」と述べています。これも目からうろこで、アーキテクチャは静物画のように不変ではなく、生き物のように姿かたちを変えていくものだ、というわけです。
つまり、マテリアル・ランドに適応していた資産目録のようなアーキテクチャは、デジタル・ランドでは通用せず、デジタル移民は生き物のように柔軟で迅速なアーキテクチャを身に付ける必要がある、というわけです。
先述の「プロジェクト第一主義」こそ、「マテリアル・ランドの流儀」であり、それを捨てることなくデジタル・ランドに向かっても、成功どころか生存さえも危うくなりそうです。
5. Where to Start with Enterprise Architecture? (EAはどこから始めるか?)
先述の連載記事の最後です。どこから、という問いに対して「上から(トップダウン)のアプローチ」または「下から(ボトムアップ)のアプローチ」さらにはこのふたつを組み合わせたアプローチ、という3つの切り口で解説していますが、これもなかなか参考となる内容です。
トップダウンの出発点は「将来 (To-Be、またはターゲットとも呼びます)」です。一方ボトムアップは「現状 (As-Is、またはベースラインとも呼びます)」からスタートします。
トップダウン・アプローチは分析的、論理的で、一貫性、整合性の高い組織全体の構造をシームレスにデザインすることができますが、一方でハイレベルな戦略についての合意形成という時間のかかるプロセスが必要となること、現実にそぐわない、実現可能性の低いデザインになる恐れがあること、各専門領域を担当するドメイン・アーキテクトの創造性が損なわれる可能性があることなどの欠点の存在が指摘されています。
対してボトムアップ・アプローチでは、目下の課題に即応するための創造的、革新的かつ実用的なソリューションに取り組む機会をドメイン・アーキテクトに提供でき、その結果スモール・ウィン、クイック・ウィンが期待できます。但しそのスモール・ウィンが組織や企業全体の構造と、またクイック・ウィンが長期的な戦略やビジョンと、それぞれ整合しているかは事後に検証されるべきで、結果として大きな解離が認められれば、相応の時間やコストを掛けて是正措置を講じなければならず、全体で要する期間は結局トップダウンとあまり変わらない、という結末も有り得るでしょう。
アーロン氏はこの両方を組み合わせた「複合的なアプローチ」を用いることで、シームレスでアジャイルかつスピーディなアプローチによるデジタル・トランスフォーメーションが実現可能であると主張し、それをデジタルEAと呼んでいます。簡単にいえば、巨視的な構造はトップダウンで押さえ、微視的な構造はボトムアップで対処するアプローチ、ということになります。ここでも前項の「なぜアーキテクチャなのか?」で紹介された、ある種オーガニックな存在としてのアーキテクチャのイメージが連想されます。巨視的な構造はいわば「体幹」であり、その組織の「ストラテジックな特徴」を、また微視的な構造は「手足や感覚器」で、その「オペレーショナルな特徴」をそれぞれ示しているわけです。何しろ「デジタル・ランド」では環境変化が激しいので、「巨大な一枚岩の密結合システム」や「個別最適システムの寄せ集め」では進化どころか生存さえも覚束ない、と言えるでしょう。
6. EAの意義を伝えよう
ご存じのとおり、アーロン氏は自社のブログやリンクト・インなどで活発に執筆活動を行っています。時折読んでみると、なかなか良いことが書かれていているのでお勧めです。
この記事ではつまるところ、企業や組織にとって、アーキテクチャといういわば形式知の方が、償却資産としてバランスシートに載っているITシステムよりも重要だ、ということを伝えています。
また、デジタル・トランスフォーメーションといった喫緊の課題は、IT資産の取得という旧来の方法では解決しない、ということを明らかにしています。
オールド・エコノミーでは資産の大小がビジネス規模を左右するので、時価の大きな企業の多くは資産規模も大きかった訳ですが、GAFAの時価が大きいのはIT資産を沢山持っているからだ、と考える人はいないでしょう。彼らの持つ知恵や知識と、それらを将来現実にする能力に価値が付けられているのであって、しかもそれらは彼らのバランスシートには載っていません。
アーロン氏を始め海外のEAコミュニティリーダーの多くにとっては、「自分の属する組織の未来を保証するのは、他者から買う償却資産ではなく、自分で描くEAである」ということは、既に「自明の理」なのかもしれません。
日本でも組織や企業のIT部門でも、将来それが同様に「自明の理」となるように、私もEAを広めるお手伝いに取り組んでいきたいと思います。
以上
※ 本コラムについてのご意見ご感想お待ちしております。
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